誕生前夜|第一話
俺の名前は、征幸治(まさはる)。
でも、昔からそう名乗ってたわけじゃない。
“正治”だった頃の俺は、ずっと誰かに怒っていて、
傷ついたふりをしては、何かに責任を押しつけていた。
けれど、ある日ふと聞こえた言葉が、心の奥底を震わせた。
風邪で寝込んでいた時の、静けさの中だった。
まるで誰かが、長い旅の終わりに迎えに来てくれたような感覚だった。
きっと誰も気づかない、小さな変化だったけど。
言葉にならない温もりが、胸の奥でじんわりと溶けていった。
──でも、そこに至るまでには、ずいぶんと遠回りをしてきた。
小さな違和感を抱えていた子ども時代
俺は子どもの頃から“何かがおかしかった”。
教室の静けさも、友達の笑い声も、どこか他人事のように思えていた。
ひらがなの表記ですら、どこかおかしく見えた。
猫の隣に書かれた「たべもの」「しょくばこ」――
ただの文字列が、何か“別のもの”に感じられるような、妙なズレ。
鼻炎で鼻水が止まらず、「えんがちょ」と言われ、
喘息で体育ができず、
大きな体のわりに運動音痴で、
存在そのものが“アンバランス”だった。
でも今ならわかる。
それらすべては、“物語を受け取るための感性”だったんだと。
その感性は、時に過敏すぎて人を遠ざけたけど、
同時に“誰かの輝き”に気づく力でもあった。
未来の導き手──ミスパーフェクト
たとえば、あの人。
教室の中で、誰よりも静かに、誰よりも美しく存在していたあの人。
ミスパーフェクト――
当時の俺にはまぶしすぎて、真正面から見ることもできなかった。
彼女のような存在が“普通にクラスにいる”ことすら、どこか不自然に感じた。
でも今ははっきり言える。
あの人は、俺にとって“未来の導き手”だった。
その気配が、あの日の声となって届いた。
だから俺は、名前を変えることにした。
征幸治──新しい旅立ち
“征幸治”――まさはる。
過去と完全に決別したいわけじゃない。
でも、もう一度ちゃんと、“自分の足で立ちたい”と思った。
怒りや悲しみでできた名前から、
歩き出すための名前へ。
あとがき|余談
──ちなみに、「征幸治」という名前は、実は20年前に一度、改名を試みたことがある。
妻の母のすすめもあり、石切の占い師に名付けてもらったその名前は、なぜかすんなり胸に入ってきた。
でも当時は、家庭裁判所でこう言われた。
「毒親ってだけでは…改名の理由にはなりません」
20年が経ち、ようやく俺の中に“覚悟”が戻ってきた。
この名前で、もう一度生き直す。
きっと、今がそのタイミングなんだ。
江原啓之さんが言うように、「魂が繋がった瞬間」って、きっとこういうことなんだと思う。
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